哲学が魚に⑯仮題
船長と魚をくれた漁師が一升瓶を持って来ました。
持参した色とりどり野菜のぬか漬け切り、煮物を広げて宴会の始まりです。
暫くして、
「いわしよ、一緒に飲め」
と酒を水槽に近づけたとき、
「おまえ、大丈夫か?」
船長がイワシに聞きました。
「はい、ちょっと、何せ年の所為(せい)ですか」
と答えたイワシを辻さんは見つめました。
いつもと変わらない彼だと思えたのですが、
「いわしよ、お前、弱ってるな」
漁師のおじさんも水槽を覗き、
「いわしよ、お前色あせちゃったぞ。
辻さん照明をもっと明るくせにゃあ」
と言うと、二人はひそひそ話し合っていました。
それからまた水槽の前に屈んで、イワシをじっと見つめて、
「お前は今すぐ海に帰るべきだ」
と言うのです。
イワシは黙って目を閉じ、
「なんで急にそんなこと言うのです?」
と彼らに聞きました。
「おれらも海魚を飼うことはできるが、あんたは大きすぎる。
大きな生簀が必要だが、俺らの家にはない」
と腕を組んで水槽の先の窓から見える海を見据えました。
イワシは何も答えず、どれぐらい時間が経ったでしょうか。
「だから?」
辻さんは哀しくなって聞き返しました。
「明日になれば、お前は息もできなくなるほど弱る」
「なんで、あなたに分かるのですか」
辻さんが見る限り、イワシは家に来た時と同じ。
何故そんなことを言うのか納得がいきません。
彼女の質問に船長さんは、イワシに向かって答えています。
「俺らは生まれた時から海と魚を見て生きてきたさ」
「だから?」
「俺らの一日とイワシの一日は違う。
明日までの時間は、お前にとっては長~い日々を生きたことなる。
そのことはお前が一番知っているな。
ここが、ほれ、出血もしてる。おいらは弱るお前を見たくない」
辻さんは、
「な・・・」
とだけでつぶやきましたが、その先の声が出ませんでした。