魚が泣いた日⑩仮題
魚と、、詳しくは、イワシとの暮らしが今日から始まりました。
「居候させていただきます」
ほんと、驚きました。
全ての血液が逆流して体を走り、じーじと同じ心不全で死ぬかと思ったくらいです。
水槽のセッティングが終わり、一息ついたので、コーヒーを入れて飲もうとしたのです。
確かに聞こえました。
なんと言っているのか分からず、宅急便かと、
「はーい」
玄関を開けましたが、誰もいませんでした。
お隣がベランダに出ているのかもと窓を開けて、聞き耳も立てましたが、何も聞こえません。
「空耳?近頃は布団に入って、イヤホンかけて、音量大きくしてバッハ聴きまくっているでしょう、耳が遠くなっちゃった」
と独り呟いて、またテーブルに腰かけました。
「魚の私です。こっちです」
すると、再び声がしました。
瞬間視線を向けたいと思いましたが、
「それはダメ」
と、
辻さんは何気ない振りをして、その方向に30度顔を傾け、
まず天井へ視線を向け、次に床へ視線を落し、
それからゆっくりと右肩の先に視線を向けました。
なんと、水槽越しにイワシの顔がまっすぐ私を見つめているのです。
一瞬辻さんは「逃げる」と自分に命令しました。
しかし、すぐに「不自然はやめよう」と、
魚の視線を感じながら、
目をテーブルに移し、皿やカップを片付け始めました。
いつものように即興のリズムを口ずさみ、
洗い、拭き、それらを食器棚にしまい込んで、気が付かないふりをしました。
どれぐらい経ったでしょうか。
部屋は1LDK なので、ここに居ればどこからも水槽が視界に入ります。